ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

(浅草寺と善光寺)水中から突如出現する仏様の話(野沢菜と天王寺蕪)

欽明天皇の時代(552年、または、538年)、百済(くだら)王が献上したインドの仏師が制作した阿弥陀如来像が、物部氏によって難波の堀江(現在の大阪、または、奈良県明日香村)に捨てられた。

それから後、推古天皇の時代(600年)に本田善光が難波の堀江を通りかかると、阿弥陀如来像が水中から出現、牛に引かれて・・・もとい、善光の背に乗って、信濃に渡り、最終的に善光寺の本尊となった。(善光寺縁起より)

大阪・四天王寺は古くから善光寺と交流があるようだ。

例えば、

善光寺から修行に来ていたお坊さんが天王寺蕪(てんのうじかぶら)を食べて美味いからと、種を持ち帰って育てたものの、土が違い、実が小さく葉っぱばかりが大きくなり、仕方なしに食べたらやっぱり美味かった。

という事で信州名物・野沢菜になった。

近年、長野の方々と共同で四天王寺境内に石碑が建てられた。

天王寺蕪野沢菜

夕陽丘四天王寺)を含む古代上町半島は、物部氏の支配地であったことは前に書いたが、つまり「難波の堀江」は夕陽丘あたり、少なくとも上町半島のどこかにあったと思っている。

ただ、物部氏阿弥陀如来像を打ち捨てたという話自体、後に水中から仏様を出現させるための演出を感じる。

詳しくは調べていないが「善光寺 物部氏」でクグるといろいろとおもしろい情報もある。

さて「水中から仏様が出現した話」、先日紹介した浅草神社浅草寺の創建話として現地ではじめて知り、少々びっくりした。

筋書きがそっくりだ

浅草の方は「仏様」を海中から網ですくい上げた漁師兄弟と、その相談を受けてお祀りした土師氏の子孫が「神様」になるという、よ~く考えてみれば神仏混淆(しんぶつこんこう)な話。

水中から突然現れる仏様の話は、当地に寺を建立し、仏教普及を急いだ当時の情勢が関係しているのかも知れない。

ということは、似たような話が全国にあるのではないだろうか

もしこの記事を読んでいただいて「私の地元や故郷にも似たような話があるよ」という方がいれば、コメントまたはブックマークで教えてください。湖や川、池でも構いません。

それにしても浅草の話、当時の、仏教の普及は神仏習合でもOK!みたいな、おおらかなものだったんだなと思う。

物部氏の職能集団の代表格であったと考えられる埴輪(はにわ)造りの土師氏に、神社に鎮座させながら、仏教色を帯びさせて行くあたり、物部氏消滅後の混乱に対する、新しい国造りを急ぐ当時の政権の気苦労を感じる。

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