諏訪大社は四つの宮があり、まとめて諏訪大社という。(詳しい各位置は記事末の地図をご覧ください)
七年に一度行われる「御柱祭(おんばしら・みはしら」で有名だが、あまり詳しくなかったのでよい経験になった。
上田市(一番下の地図。北側)からトンネルと山の道を通りながら車でやって来たので、秋宮⇒春宮⇒本宮⇒前宮の順番で、1日でまわる弾丸行だった。
案内板にも書かれているが、御柱は四宮のそれぞれの本殿の四隅に建てられている。御柱祭では四宮×4本、合計一六本の御柱が曳かれる。
鳥居正面に太鼓橋(天の浮橋)があったのは秋宮と春宮。様式的に下社二宮は同じ系統だろう。上社二宮にはなかった(側面から入る後世に造られた、または、観光用と思われるものはあった)
また下社二宮には大注連縄(おおしめなわ)の拝殿が鳥居をくぐってすぐにあり「もともと出雲系」であることを強く表現している。
上社二宮では出雲系の雰囲気はなかった。
地学的には、諏訪湖は中央構造線のほぼ真上にあり、構造線が落ち込んで穴を造ったところに湖ができたそうだ。
地図の白い矢印、上川から水が流れ込み、天竜川に流れ出す。ボランティアガイドの方によると、水の流れから「上社」と「下社」と名付けられたのではないか、ということだった。
川からの土砂堆積で、諏訪湖の中央に向かって両サイドで「内陸型のクニウミ」がおきたことがわかる。現在はキャッツアイの形だ。四宮とも創建時代、眼下には諏訪湖の「葦の原」が広がっていたことだろう。
先日の鹿島神宮と言い、中央構造線の神社を巡った形になったが、よく考えれば、古い神社はそういうところに造営されたと考えてもよいのかも知れない。