東門・西門・南門がある。早朝、西門(案内板下)から入った。
西門の鳥居をくぐって、百数十メートル、本宮に続く参道(第二鳥居)に出る。参道には第一から第三の鳥居がある。
先日のオトコの闘いは第二鳥居・警備詰所周辺で。謎の遮光器土偶像「眼鏡の碑」もこのあたり。
御祭神の熱田大神とは天照大神。三種の神器の一つ、草薙御剣(くさなぎのみつるぎ)は熱田神宮にある。
熱田神宮は名古屋城辺りから南にのびる標高8-15メートルの熱田台地の南端に鎮座。
黄線は1-2万年前の海岸線(名古屋市資料をもとに開物作成)。神宮の周囲には古墳や遺跡が多い。矢印方向は名古屋湾。浮島系神社の地理的条件が整っている。
まずは本宮(ほんぐう)にお参り。
本宮から奥の「こころの小径」に向かうが、あいにく九時からお参り可ということで時間のこともあり今回は断念。(こころの小径は写真撮影不可)
最奥の一之御前神社には別の機会に行くことにする。(他の神社と同じく、出雲風の雰囲気を残した空間であると推定している。こころ=心字池(しんじいけ)、生島足島神社にあった池心宮(いけこころのみや)に関連していると思う。出雲風だ)
参道に戻り、南門(第一鳥居)方向に向かう途中。
太鼓橋を渡りながら横をみるとおや? 木の繁みの向こうに太鼓橋? 行ってみると二十五丁橋だった。
(看板文字起し)
尾張名所図絵や名古屋甚句で名高く、板石が二十五枚並んでいることから二十五丁橋といわれる。甚句には「宮の熱田の二十五丁橋で西行法師が腰を掛け、東西南北見渡して、これほど涼しい此の宮をたれが熱田と名を付けた」とある。
境内地図を見直すと、二十五丁橋は、本宮にほぼ正対した位置にあり、古い参道はこちらであったと考える。
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中部東海地方には「あつた」を含め、「あつみ」「あたみ」などの地名が見られるのが気になっている。
いろいろ説があると思うが、私は、古代、湿地帯(潟)のことを「あた」「あら」等と呼んでいたことに関連していると考えている。
クニウミ・クニビキに関連した言霊だ。
「あた」にクニが生まれる。クニを大きくすることができる。
縄文大海進後の海退(縄文~弥生)で、中部東海地方には、熱田神宮(名古屋市街)の古地理に見られるような巨大な湿地帯が広がっていた。日本では最大クラスだろう。
そのような景色がそれぞれの地名の起源になったと考えている。