楠珺社(なんくんしゃ) 招福猫を授かるお社
御祭神「宇迦魂命」は女神さま。
珺は美しい玉のこと。
右手招きは商売発達、左手招きは家内安全。お狐さんにも見える招き猫。
こちら側は猫、あちら側に・・・
拝殿から出て奥のお社を横(西)から撮影。御神木のそばに造り付けている。
御神木の向こう側に鳥居。両側を固めているのは、お狐さんだ。
御神木のそばにもう一組。左は巻物、右は玉を咥えている。
以下、妄想入ります レベル★★
私は住𠮷さんに宗像の三女神がおられると考えている。
なぜなら、住𠮷さんよりも創建がおそらく四百年近く早い宗像大社(イワクラ)では古代航路の要衝、海と航路の安全を祈ってきたからだ。
宗像大社には辺津(高宮)にイチキシマヒメ、中津(大島)にタキツヒメ、沖津(奥津、沖ノ島)にタゴリヒメがおられ、結ばれている。
世界遺産・宗像三宮の位置関係。右は住𠮷さん境内地図。上が北。住吉さんの北方には古代上町半島が延びていた。
住𠮷さんには男神三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)が太鼓橋を起点に「東西」に並んで鎮座(第三・第二・第一本宮)。古代の墨の江(すみのえ)に向かった配置だ。
しかし、ここは古代上町半島の付け根。周辺には龍神信仰が数多く残っていて、
古来、住吉あたりは龍の「尾」、「頭」は大阪城(現在)あたりとされていた
上町半島の成長の様子。夕陽丘は私が住んでいるあたり。住吉さんは夕陽丘と新大和川の南北中間。
したがって住𠮷大社が創建される以前の信仰の方向は「南北」と考えている。(時代は違うが四天王寺伽藍は南北。境内に龍神信仰の名残がある)
そこで私は「石舞台」に目を付けた。能舞台跡とされているが「神島にわたる天の浮き橋」が古代の姿と考えた。真北に第一本宮があるのが根拠。
つまり、もともと石舞台の南一帯が辺津、イチキシマヒメが居られた所(今の浅沢社)ではないかと思う。水辺の御田も近くにある。
そして北のライン上に種貸社(たねかししゃ)の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。やはり女神様だ。
となれば、今の第一本宮のある場所は、もともと「中津」であった可能性がある。
そうであれば、第一本宮または楠珺社の近くに「タキツヒメ」のこん跡があるかも知れないと考えた。
で、調べていて見つけたのが、
おたき道
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