ものづくりとことだまの国

縄文・弥生・古墳時代の謎。古神社、遺跡、古地名を辿り忘れられた記憶、隠された暗号を発掘する。脱線も多くご容赦ください

住𠮷さんあたり(5)おたき道の碑が指差す先 滝と水の女神様 ★★宗像三女神を探して(2)

前回の続き

おたき道の碑を探すのに苦労した。

ネットで調べて、そういう碑があるのを知ったものの場所が書いていない。

おそらく楠珺社(なんくんしゃ)の近くだろうと考え、探したがわからない。(境内を管理している人にも聞きながら)

結局、神職さんに聞き「あ~あ~そう言えば」と教えていただき、やっと見つけることができた。

予想通り、楠珺社から20メートルも離れていないのに、赤いノボリの陰に隠れていてわからなかった。

碑には昭和28年。古いものではない。

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碑が指す方に歩いていった。

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ここから先は閉鎖

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石舞台の池、奥一帯が「おたき道」

奥には「御滝」と「水浪女神(ミズハノメノカミ)の社」がある。

※撮影出来なかったため、過去に報告された方の記事を末にリンクしているので興味のある方はご覧ください。

古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記(Wikiより)

龍神さんとセットで祀られていることも多い水の女神さま。例えばこんな感じ。

阿部王子神社熊野街道・第二王子社)・境内の小社。ひっそり祀られていることが多い水の女神様。

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阿部王子神社境内

宗像三女神三輪山奈良県桜井市)から山岳信仰の守り神になった可能性

奈良県桜井市三輪山大神神社御神体神奈備(かむなび)の山として知られている。

登拝すると、麓が辺津の磐座、中腹に中津の磐座、頂上に奥津の磐座がある。宗像三宮と対応している。

中腹には水垢離(みずごり)の滝がある。

山岳信仰三輪山から始まったように思う。

頂上(源流域)を奥津(奥宮)、中腹にある滝場を「おたきさま」と呼ぶ例がある。

山岳信仰宗像三女神が習合した呼び方だろう。

奥津、源流域からの水は、中津で滝となって流れ落ち、辺津に湧き・集まり、人々に恵みと豊作の水をもたらすイメージ。

それが「龍神さん」になったのか。龍神さんは暴れることもある。

滝(瀧)という字は「竜(龍)」に「さんずい」だ。タキツヒメの名から滝になったのか、滝の名からタキツヒメになったのか。

もちろん、私は前者の説を考えている。タキツヒメは神名、言霊(ことだま)だからだ。

*****

ちょうど、碑の在りかを尋ねた神職さんが通りがかったので、あらためて話をさせていただいた。

住吉さんはもともと海に近く、古くは鳥居そばの海辺で禊(みそぎ)をしていたそうだ。

時代とともに海が遠くなり、井戸を掘り、滝にして禊場としたのが御滝。

戦後でも御滝の井戸は汽水(海水と地下水が混ざった)だったそうだが、いつのころからか枯れ、最近まで水道水で代替していたとのこと。

それも止めてしまい、数年前に閉鎖したそうだ。

おたき道は昔からそう呼ばれていたそうで、もっと小さな碑があったような気もするが、どこにあったか思い出せない、自分もあなた(開物)に聞かれるまで碑のことは忘れていた、とおっしゃられていた。

記憶の発掘作業は忘れ去られる前にしなければならない

*****

どこまでタキツヒメに迫れたのか、評価はお任せするが、状況証拠としてはここまで。

今後は、タキツヒメ=おたきさま、それに、宇迦魂命(うがのみたまのみこと、お稲荷さんに習合)、罔象女神(みつはのめのかみ)をひとつにまとめて古神社を巡って手掛かりを探したい。

次は奥津だ。(テーマ直下カテゴリー「宗像三女神」クリック、または検索窓「宗像三女神」で検索)

(参考:大阪ふぁんくらぶさんのブログ(2017年1月報告)。7・8枚目の写真。「御滝」と「水浪女神(ミズハノメノカミ)の社」)

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